家族が嫌い、なんて奴はあまりいない。少なくともおれはそう思う。
おれも家族のことは大切に思っていて、特に母を強く慕っていた。
だから、母が習っていた日本舞踊を、「やってみる?」と聞いてもらえたときは、純粋に嬉しかった。
舞台に立ち、美しく着飾って踊る母の姿は、とても華麗でかっこよく見えた。
『おれもおかあさんみたいにかっこよくになれるんだ』
あの頃は、素直にそう思った。
そして今も、おれは――
*****
「それでは、今日はこの辺りにしましょうか」
先生の言葉に、おれはふっと息をついて、緊張を解く。
一緒に稽古に励んでいた母さんをチラと見ると、母さんは少しだけ微笑んでくれた。
「千里くんは本当に飲み込みが早いわねぇ。次の発表会も安心して見ていられそうだわぁ」
「一応それなりに長くやってますからね。このくらい出来ないと、恥ずかしいですよ」
「そんなことないわぁ。あなたほど着物の似合う子なんて、そうそう見ないもの。謙遜しなくていいのよぉ」
「ありがとうございます」
母さんに憧れて日本舞踊を習い始めたおれにとって、『着物が似合う』というのは最高の褒め言葉だ。
日本舞踊には男踊りと女踊りがあるが、おれが好んで女踊りを多く学ばせてもらっているのも、それが理由だったりする。
「初めてここに来た頃に比べて、本当に立派になったと思うわよ。お名取から師範になる日も近そうねぇ」
「いや、私なんてまだまだ先生や母さんには及びませんから」
とはいえ、そう言ってもらえるのはやっぱり嬉しい。
自然と笑みがこぼれてしまう。
「お稽古の後はおなかがすきますね。速瀬さん、よろしければご一緒しませんか? おいしいお茶菓子があるのですけど」
「それは素敵ですね。是非……あ、千里は用事があるんだったかしら」
「友達と遊びに行く約束してんだよな。……してるんです」
一瞬言葉遣いを素にしてしまっただけで、母さんの鋭い視線が突き刺さり、咄嗟に言い直した。
それを見た先生が、口元を隠しながらふふっと含み笑いをする。
家だと許されてるけど、出先だとちょっとラフな言葉遣いするだけでこれだもんな……厳しい。
「失礼します。千里くんにお客様がいらっしゃいましたよ」
と、稽古場の扉がそっと開かれ、そんな声がかかる。
そちらを見ると、見知った顔が覗いていることに気付いた。
「宮間! なんだよお前、もう来てたのかよ!」
「あ、千里くん……まあ、うん」
なぜかどこかぼんやりした顔で、宮間は軽く頷く。
今年の春に同じクラスになってから、よくつるむようになった友人だ。
気が少し小さく、クラスではあまり目立たない奴だが、何かと他人を気にかけることの出来る良い奴だと思う。
「ちょっと待っててくれ。すぐ着替えてくるからよ!」
約束している相手がもう来ているせいで、思わず気がはやり、歩みが早くなる。
「こら千里! どたどた歩くのではありません!
「わ、悪い……じゃなくて、ごめんなさい母さん」
母さんに咎められて、少しバツが悪くなる。
何度も注意されているし、稽古が始まってからは集中しているせいか、演技以外で怒られることはないんだけど、少しでも何かに意識が向くと、つい素が出ちまうんだよな。
「まあまあ、お友達が来ているのですし、少しくらい良いではありませんか」
「さすが先生、話がわかる!」
先生に笑顔でそう言うと、母さんは呆れたように溜息をつく。
そして諦めたような顔で、言葉を続けた。
「夕食時には帰ってくるんですよ?」
「わかってる!」
結局許してくれる辺り、なんだかんだで母さんもおれに甘い。
ウキウキした気持ちで着替えに走るおれのことを、宮間はじっと黙ったまま見つめ続けていた。