食事を終えて店を出たおれたちは、その後はカラオケで二時間ほど歌ってから、ゲーセンをひたすら巡っていた。
「んー、結構日が傾いてきたかな……」
店の窓から見える景色が朱に染まりつつあるのを見て、呟く。
「そうだね。あー、左手が痛い……格ゲーばっかりやりすぎだよ」
「わ、悪い。つい熱くなっちまってよ」
普段はあんまりゲームとかやる方じゃねえけど、結構負けず嫌いな方だから、誰かと対戦ゲーをやると、『勝つまでやる!』とか思っちまうんだよな。
それ自体は悪いことだと思ってないけど、誰かに迷惑をかけるようなら話は別だ。
「わかった。今日は色々付き合ってもらったからな。お前のリクエストをなんでも一つ聞いてやるよ」
「なんでも? 本当に、なんでもいいの?」
「おう。男に二言はない!」
このセリフ、一度言ってみたかったんだよな。
使いどころも完璧、決まったぜ……!
しかし、宮間はひとしきり考え込んでから、曖昧に笑みを作って
「……すぐには思いつかないから、いいや」
「そうか? んじゃ、保留ってことで」
一応、ここから更にどこかに入る心の準備はしていたんだが、思いつかないなら仕方がない。
まあ、もう日も傾いてきたし、頃合だったか。
「それじゃちょっと早いけど、そろそろ帰るか。夕食には帰ってこいって母さんに言われてるしな」
「そう、だね。もうちょっと遊んでたい気もするけど」
「ははっ! 気持ちはわかるけどな。また今度遊びに来ようぜ」
ゲーセンを出ると、外はすっかり夕焼け空だった。
街は赤く照らし出されていて、燃えているように見える。
「おおー、綺麗だな」
「うん、そうだね」
おれの方をしっかり見ながら答える宮間。
綺麗なのはおれの方じゃなくて、空の方なんだけどな……。
どうせ見るなら、こういう普通のときじゃなくて、
「そうそう。また今度発表会があるんだけどな」
「日本舞踊の?」
「おう。もし暇だったら見に来てくれよ。やっぱり知ってる奴が来てくれると、よりやる気も出るしな」
「……千里くんが来て欲しいっていうなら、忙しくなければ行きたいかも」
「お前におれを見に来てほしい! だから来いよ! な!」
にかっと笑ってみせると、宮間はぷいっと顔を背けながらも、しっかり頷いてくれた。
「じゃ、またな!」
そしておれは、軽く手を上げて宮間と別れた。
*****
「千里くん、相変わらずだったな……」
家路を辿りながら、僕は深く溜息をついた。
思い出すのは、千里くんのこと。
お稽古のときはあんなにおしとやかで上品なのに、僕が来たら急に言葉遣いも乱暴になって。
だけど、当然見た目は可愛いままだから、僕は……。
(千里くん、絶対わかってないよね。僕が千里くんのこと、好き……って)
もちろん、友人として好かれているとは思ってくれていると思う。
だけど僕のこの気持ちは、友達としての域を超えている。
本当は直接想いを伝えたいと思っているし、手を握ったり、抱きしめたり、キスしたり……そういうことも、したいって、考えることもある。
「そんなこと、出来るわけない……」
言葉にすら出来ないのに、実際に行動に移すなんて、僕には無理だ。
僕にそんな勇気はない。せっかく仲良くなれたのに、その関係が変わってしまうのが、僕は怖い。
友達のままでもいいじゃないか。そう思うことも、これまでに何度もあった。
そう思うのに、千里くんの屈託のない笑顔や、ふとした拍子に見せるきりっとした佇まいが頭から離れず、胸をもやもやさせる。
……千里くんのことを、夢の中で汚したこともあった。
一糸まとわぬ姿の千里くんの肢体に、僕は手を伸ばし、手触りを確かめ、舌で触れ、そして嫌がる千里くんを無理やり組み伏せていきり立った自分自身を――
そこで目が覚めた。その日からしばらく、罪悪感で千里くんの顔をまともに見られなかった。
僕は、普通に女の子が好きなはずだった。なのに、こんなにも千里くんを求めている。
僕は、どこかおかしいのかもしれない。
それを千里くんに悟られたくない。だけど傍にいたい。これからも仲良くしていたい。
でも、このまま今日みたいな調子で千里くんにスキンシップされたら、頭がどうにかなってしまう気もする。
それならやっぱり本当は距離を取るべきで、だけど傍にいたくて……。
(堂々巡りになってるよ……落ち着こうよ、自分)
腑抜けた僕は、どうやら頭のめぐりも悪くなっているみたいだ。
この問題の解決策はわからないけど、状況を変えるのは簡単で、その術を僕は知っている。
結局のところ、全ては不甲斐ない自分のせいで、このままでいいんだって、無理やり自分を納得させようとしているんだ。
そう、それでいい。千里くんに嫌われるよりも、ずっと……。
『どうして、そう思う?』
「えっ!?」
突然の声に、僕は立ち止まり、振り返った。
……誰もいない。
でも、確かに聞こえた。男の子の声。どこかで聞いたことのある、微かな声。
「だ、誰……?」
ざあ、と一陣の風が吹く。
確かな足取りで、その風に誘われるように歩みを進めていく。
なぜかわからないけど、不思議な確信がある。この先に、さっきの声の主がいる。
空気がまとわりつくように重たく感じる。
視界を横切っていく車は、無人のように見える。
大通りからどんどん離れていくにつれて、僕の知っている世界とは違うどこかに入り込んでしまったような気分になる。
辿りついたのは、人気のない小さな公園だった。
中に踏み込んで、辺りを見回してみると、顔をうつむかせたままブランコに座る人影に気付く。
きっと、この子が声の主だ。
意味もなく、そう思った。それなのに、僕はその子になかなか声をかけられずにいた。
(どうしてだろう、声をかけるのが、怖い……)
不良の人を見て感じる怖い気持ちとか、そういうのとは違う。
ぞっと体の底から這い上がってくる、根源的な恐怖を覚える。
この子に声をかけたら、僕の中の何かが変わってしまう予感がする。
『変わればいいじゃない』
クス、と口元を歪めて、その子は笑みを浮かべた。
思わず逃げ出しそうになったけど、もう足が動いてくれなかった。
代わりに、唯一まともに動く部分……口を動かす。
「どうして、僕の考えてること……」
『何言ってるの? わかってるんでしょ? 本当に腑抜けだね、君は』
下を向いたまま、ケタケタとそいつはからかうように笑う。
そして、ゆっくりと僕の方を向いた。
そこにあったのは、目をかっと見開いて、歯茎が見えそうなほど大きく口を開いて笑う、僕の顔だった。
『千里くんを僕のものにしたいんでしょ? どうしてそうしない? すればいいじゃないか』
「な、なに、言って……。そんなこと、出来るわけ……」
『どうして出来ない? 正直になろうよ。出来ないんじゃない、やらないだけだろ? でも、我慢する必要がどこにある? 男が男を好きになって、何が悪い?』
「それは、それが普通のことで……」
『それで僕は納得出来るのか?』
「それ、は……」
出来ないけど、するしかない。
でも、僕は、千里くんが好きで、千里くんが、
「『欲しい』」
一度口にしてみると、当たり前のことだ。
ほんの少し前まであった心のもやが、一気に晴れた気がする。
同時に、目の前にいた僕がどろりと溶け崩れた。
泥のようになった僕だったナニカは、そのまま僕の体にまとわりつきながら、僕の中に入り込んでくる。
それを怖いとは思わなかった。
僕は、僕自身と……本音と向き合うのが、恐ろしかった。
でも、こうして受け入れてしまえば、むしろ僕自身の力になるじゃないか!
「そうだよ。僕は千里くんがほしいんだ。なら、僕のものにしちゃえばいいんだ! ははっ! こんな簡単なことに気付かなかったなんて!」
そうなれば、善は急げだ。
一分でも一秒でも早く、千里くんの全てを僕のモノにしないといけない。
そう思って、地面を強く蹴ると、いとも簡単に僕の体は宙に舞い、風に乗った。
千里くんとは春から一緒に過ごす時間がそれなりに長かったから、どこにいるかはニオイで大体わかる。
待っててね、千里くん。今すぐ君をもらいに行くから。
期待に胸を高鳴らせながら、僕は空を駆けた。